

オリンピックや世界選手権で日本選手が不振だったりすると、「採点方法が変わった」「世界選手権に優勝できたのはアメリカの選手が出ていなかったから」「レースの間が空きすぎた」「靴。板が合わなかった」「前々から体調を崩していた」…大会前には報道されなかった敗因理由が次々に書きたてられたりします。そんな記事を目にしていると、大学受験後にお母さんたちが口にする「不合格理由」が重なってきます。「不得意な分野ばかり出た」「試験会場が寒くてトイレに行かざるをえなかった」「A社の偏差値を信じて受けたら、B社ではもっと難しいことになっていた」「隣の子の咳がひどくて集中できなかった」……。際限なく理由が挙がります。でも考えてみれば、世の中はなんの障害もない無風の温室であるわけがありません。想定外のことが起こるのが常です。いまさら偏差値表のせいにしてもはじまりません。想定外のことを極力少なくしておくのも親としての責任だったでしょう。親がこんな調子で不合格の「言い訳」を外に求めていたら、子どもは自分の力のせいとは考えなくなります。現実の厳しさを自分のものとして受け止めることができなくなります。「全滅」「第一志望には受からなかった」…そうした事実を他でもない自分の問題と受け止めさせることも大切です。そうしないと、これからいくらでも直面する障害、トラブルでガタつかない強さ、乗り越える力は身につけられません。
個別指導塾というのは、どんな人でも資格がなくても、手軽に開業できる商売とも言える。そのため、教えることの好きな人が近所の子どもを集めて英語や数学を教えているのを、よく耳にする。塾の講師がつとまる条件は、まず第一に一般常識があること。つまり、普通の会社に勤めても、仕事を手際よく行う能力があることが必要なのだが、この条件を満たしている人は意外に少ない。プライドだけは高いが、よく仕事のミスをする、という人がけっこういるか、こういうタイプは自己中心的な生活にどっぷりつかっているのが常である。自信を持つことはいいのだが、満足に中学や高校の入試問題も解けないような能力しか持っていない人が、片手間に教えているケースもよくある。これでは、まじめに勉強しようとしている子どもが、かわいそうである。
子供であれば、きわめて自然に日本語と英語の二つを習得するはずだとの思い込みが蔓延しているが、実際の言語習得は、あくまで子供次第、環境次第なのである。そもそも、人間の脳はそれほど器用ではない。放っておけば、かならず安定した単二言語状況を求めるものだ。第一、画一的な教育によって、高度な二言語話者が生まれたためしがあるのだろうか。英語で苦労した親にかぎって、子供をバイリンガルにしたがるものだが、どこに目標とする実例があるのだろうか。コミュニケーション中心主義や。バイリンガル教育を推進している人たちのなかに、日本人が目標とするような高度な英語の使い手が一人でもいるだろうか。つまり、音声コミュニケーション中心の早期教育によって日英の完全な二言語話者を大量生産できると考えるのは、幻想以外の何物でもないのである。それに基づく有害無益な言語教育に一日も早く歯止めを掛けないと、二言語話者どころか、日本語も英語もまともに操れない日本人が大量生産される危険性がある。
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